一、宿場町・オニ - 2/3

──宿場町オニ。西都オガノと南の国を結ぶ唯一の街道の中間に位置する小さな山間の町である。山肌を削り取った河川に沿って集落と小さな田畑が並んでいる。国土の八割が山地か丘陵地で構成されているため、イロート各地にはこういった小さな集落が点在している。

東都イロットや西都オガノに比べれば規模はかなり小さいが、オニにはオニにしかない賑やかさがある。どこか懐かしさを覚えながらタイハクは息をついた。まずはアバニの身を軽くしてやらなければならない。彼女が背負っている荷の無事を確認してから、タイハクたちはオニ総合商会を目指す。

今回持ち込んだのは獣の毛皮数点と、オージから預かった香辛料である。どちらも大手に比べれば量は少ないが、質はよい物ばかりだ。が、この二つはどうしても需要が高いために、供給も釣られて高まってきている。

期待に反して軽い財布代わりの革袋を凝視しながら、彼は商会を出る。建物横にある簡易厩で待っていたアバニがタイハクを見るなり一声鳴いた。

「お待たせ。用事は済ませたし、少し散歩でもするか」

「え、いいの?」

ぱっと表情を明るくしたオウに、彼は目を細める。少しだけ迷った指先は革袋から三枚の小銭を取り出した。

「これ、使ってもいいから」

「いいの?」

「オージさんからは前払いで渡してるし。自分が困るような金額じゃない」

漂ってきた香ばしい風に顔を上げる。ちょうどすれ違った母娘は串焼きを食べつつ、なにやら楽し気に話をしている。オウがあまりにもそちらを見ているのでタイハクは思わず声をかけた。

「ねえ、あれはどこで売ってるの?」

「その辺じゃない? 少し歩けばあるんじゃないか」

串焼きを持っている人とは何度かすれ違っている。進行方向にあるのは間違いないだろう。タイハクの予想通り、少し歩いた先で串焼きの店がいくつか並んでいた。肉を焼く煙がもんもんと、あちらこちらから立ち上っている。こちらもやはり新年祭のためだろう。飲食物を取り扱う露店が多く並んでいる。

「あれ、買ってもいい? おじさんとおばさんが、おいしいって言ってたし……持って帰りたいんだけど」

意外な提案に緑の瞳は丸くなる。

「そんな話をするんだ?」

「そこなの? まあ、そうね。たぶん、私がなにか思い出せるんじゃないかって、気を使ってくれた、のかも……」

少しの曖昧さを噛むようにして、オウは串焼き店へ目をやる。どこか申し訳なさそうな声色なのがタイハクは気にかかった。

「好きにしたらいい。それはオウの分だから」

タイハクの言葉に少女はこくこくと頷いた。列の最後尾に立ち、おとなしく順番を待つ。

「タイハク……はおじさんたちと、どういう話をしてるの?」

「どういうって言われても……仕事と、あとはアバニの話とか?」

思い返してみればみるほど、互いに突っ込んだ話をしていないことに気が付く。やはり気を遣ってくれているのだろう。なんとも言えない思いに歯噛みしながら、タイハクは話を仕切り直す。

「俺は別に、あの人たちとは他人だから」

──他人?

黄金の瞳はくっと丸くなった。反感を買ったのは明らかだったが、オウは眉をひそめただけだった。ぼんやりとした間に、串焼きの山が目の前に出てくる。

「三……ええと四本ください」

「はいはい、付け合わせに握り飯はどう? 炊き立ての月下米もあるよ」

「そっちは大丈夫です。これでお願いします」

手を出そうとするオウを抑えて、革袋から硬貨を取り出し店主の手のひらに乗せる。ふくよかな頬をした初老の女店主は、その頬をふっと緩めて硬貨を箱に入れた。木箱のなかに積もっていく小銭の数が盛況ぶりを物語る。

「はいよ、焼き立てだから気を付けてね」

手渡された串焼きをタイハクは両手で受け取る。二本は一緒に貰った紙に包み、もう一本はオウへ手渡した。ぱっと目を輝かせる少女に、タイハクは思わず差し出しかけた串を引っ込める。

「食べながら歩くなよ」

「え、なんで」

「危ないだろ」

もっともらしい理由にオウはしぶしぶ頷く。程よく焦げ付いたタレが串に沿って滴りそうになる。オウはそれを手で受け止めながら、もう一度タイハクへ視線をやった。が、彼が首を縦に振ることはなく。二人は速足で座れそうな場所を探す。

「休憩所はあるけど……どこもいっぱいね」

「適当な場所が空いてればいいけど」

小さく呟いて辺りを見回せば、路地の入口に座れそうな場所があった。アバニは入れそうにないが、串焼きを食べる程度の時間であれば待ってくれるだろう。タイハクの視線に気が付いたのだろう、オウもにやりと笑ってそちらを指した。

久々に口にする串焼きは記憶よりも濃く、艶っぽい味がした。少し火力が強かったのか、隅の香りも濃厚だ。ガツンと来る味にタイハクは一口齧って手を止める。

「これ、なんの肉なの? 柔らかくて……ちょっと甘い?」

「それはタレの味じゃないの。串焼きは大体香鹿の肉だな……けどこれは違う気がする。味が濃くて分からん」

「へえ……食感とかが違うの?」

「そんな感じ。米ありきの味だ……」

ぼやいたタイハクの言葉に、オウは頷く。

「じゃあ買って来る?」

「いやいい。どうせこの辺は月下米しかないし」

「うん……? お米は嫌い?」

「好きだよ。月下米を食べないだけ」

ピンとこない様子のオウに少し頬を緩ませてしまう。青年は指先を拭ってから町の端を指さした。

「来る途中で、たくさん田んぼを見ただろ。アレは全部月下米だ。他の品種はほとんど育てられてない」

「へえ……そんなにおいしいの?」

「味は……特に言うことはないと思う。月下米は絶対に豊作になる品種なんだよ。虫もつかない、病気にもならない。多少の水不足も耐えられる」

「じゃあ、月下米を植えさえすれば、その年は安泰に暮らせるってことになるのね」

「なんか不気味だろ。どういうわけか、馬も月下種は食べない。すごく嫌がる。それもあるから俺は食べないようにしてる」

「そういうことだったの。嫌いってわけじゃないんだ。でも、言うほど不気味?」

「……月下米は種を作らない。一つの種から、一度だけ実を作る。そして、月下種を植えた土地には、月下種しか植えられなくなる。一度農地に植えれば、そこは月下種だけの農地になる」

ぽつぽつと語るタイハクの目に、オウは引き込まれる。

「じゃあ……種ができないのなら、月下米とか、その月下種っていうのは……どこから来るの?」

「水稲省が毎年冬に配布してる。俺も何度か見たことがある……不気味だろ。俺はなんとなく嫌だ。だから月下米も食べないし、育てない」

「ふーん…………、よく分かんない。悪い思い出があるわけでもないのに」

「まあ、そうだな。食わず嫌いに近い」

話が途切れて、騒々しさが間を埋める。少し離れた場所では子供たちが駆け回って遊んでいる。それをじっと見つめていたオウは、ふとこんなことを呟いた。

「ねえ、ここって女の人ばっかりなのね」

「そう珍しくもないな。今はどこもこんな感じだと思う」

「そうなんだ? でも、私くらいの人はあんまりいないのね」

「みんな西都か東都に出たからな。特に今の時期は人がいなくなる」

こういう鄙びた場所はな、とタイハクは付け加えた。

串焼きを食べきって満足したのか、オウは膝を抱えたまま行きかう人々を眺めていた。のんびり食べていたタイハクは、しばらくしてやっと串を下ろす。

「……なにか気になることでも?」

少し気だるげに投げられた問いに、少女はただ静かに首を振った。

「ねえ、ちょっと見てきてもいい?」

「はあ……いいけど」

思うところはあったが、強く止めることもできなかったタイハクはオウの申し出を了承する。答えを聞いた彼女はすぐさま駆け出した。

(思い出したことでもあったのか……)

その背を見送って一つタイハクは息をついた。隣にいたアバニがちらりとこちらを覗き込む。

「いや、分かんないよ。全然そんなことないかもよ」

タイハクの返答にアバニは大きく首を振る。やけに高いテンションに、彼は少しだけ手綱を引っ張った。

「その馬、言葉も分かるのか?」

「さすがに分かってないと思う」

不意にかけられた声にも、タイハクは自然に反応をする。ゆるりと顔を上げれば体格のいい男と目が合った。左側だけ上げている前髪の生え際には、大きな切り傷の痕がある。

「なんとなくで反応してるだけだよ」

「そんなに素っ気ないモンでもないと思うがねえ。この後暇か?」

「待ち合わせしてるから、立ち話ならいいよ」

タイハクの申し出に、トリベノはニヤリと笑って乗っかってくる。どっかりと隣に腰かけた彼は往来に目をやる。昼時のオニは一日の中で最も活気のある場所となる。数多の飯屋から漏れ出てくる他愛のない会話を背景曲に男はのんびりと話を始める。

「最近はどうだ?」

「うーん、可もなく不可もなくだ。確かに生活には困ってない」

「へえ、そりゃいいことじゃないか。なにが可もなく不可もなくだ」

「いや、だって」

「分かるぞ。要は生活にしか金が使えないんだろ。お前は馬の世話もあるし、仕事を増やすにしても、そこまで貰えるようなモンはねえ。馬の餌代も別途かかるんだろ?」

「まあ。この子たちは月下種食べないんで。そっちがいけるならもう少し余裕があるかもだけど」

「……だろうよ。そういうお前だって月下種は避けてるんだろ? お前が馬に合わせる必要は無いだろ」

「なんというか……いや、その」

「はいはい、分からんでもない。普通の穀物じゃあないからな。ほらよ」

そう話を続けつつ、トリベノは携えていた麻袋を一つタイハクへ寄越す。ずっしりと重たい袋の中には、黄緑色の丸い果実が詰まっていた。

「シュリープ……こんなに?」

「オージさんたちに手土産な。収穫が速い品種だが、ちゃんと美味いんだとよ」

「いつもの試供品か……相変わらず調子がいいんですね?」

タイハクの言葉に彼は頷く。

「上々だな。新生クグイ商会の滑り出しとしてはいい感じだ。ま、他と比べると小規模だがね」

受け取った果実をタイハクはアバニに差し出す。彼女は一片の遠慮もなく、丸い果実を一口で頬張った。水分の多い果肉が、臼歯に潰される音が響く。

「ごめん、遅くなった……って、えっとトリベノさん?」

目を丸くしたオウが彼の姿を見て立ち止まる。

「よっ元気してたか?」

「あ、はい。おかげさまで……色々ありがとうございました」

「いつの間に……」

「ああ、ちょっと前に所用でオージさんとこに行ったときに会ってな。お前は仕事中だったから知らねーだろうけど」

「うん、知らなかった。トリベノはいつどこから出てくるか分からないし」

「ええ? そうか? ま、その件については、いいってことよ。俺もあの二人には恩があるからさ。またなんかあったら言ってくれや」

片手を軽く振りつつ、トリベノはおもむろに立ち上がった。

「んじゃ、タイハクにオージさんたちのお土産渡してあるから、また分け合って食べてくれよな」

話をさっと終え、彼は雑踏へ戻っていく。