五、サンドワーム - 4/5

ざわつく人波を掻き分け、オウはタイハクの姿を探す。落ち着きを取り戻した馬と、飼い主であろう男がしゃがみ込んでいるが、青年の姿はどこにもない。

(そんなに遠くには行ってないはず……!)

かなり強く壁に打ち付けられていたはずだ。早く手当てをしなければ、額に汗がにじむ。衝動的に動きかけた体を抑えて、その場に踏みとどまって思考を巡らせる。

(こんな人混みにはいられないはず、ってなったら──)

手当たり次第に近くの路地を覗き込む。馬も一緒にいたはずだ。ともすれば、彼女が通れないような道には入らない。三つ四つ、と路地を覗いて行った金の目に、薄灰色の馬が映り込む。

「い、いた! ちょっと、無事!?」

寄り添うアバニが低く唸り声を上げて、耳を後ろに引き絞る。

「待って、早くしないと手遅れになる」

言葉が通じたのかは分からないが、オウと数秒見つめ合った栗色の瞳はゆっくりと瞬きをして後ろに下がった。

オウは持っていたペンダントを青年の首にかけて、力をこめる。

「これで間に合えば、まだ……!」

気休め程度の癒しの魔法を使う。手のひらから伝わってくる鼓動が、状態を如実にオウへ語ってくれる。

(駄目だ、もっとちゃんと治さないと死んじゃう)

刹那、差し込んできた影と共に殺気が忍び込む。咄嗟に展開された魔法の障壁は鉛弾を弾いて霧散した。

もう一度魔法の障壁を張りつつそちらを睨みつければ、覆面の男が小銃を片手に路地の入口を塞いでいた。

「お前、魔法使いか」

「見りゃ分かるでしょ。いちいち魔法使いって名乗らなきゃ駄目?」

気丈に言い返すも、覆面のせいか全く動揺が見られない。

(さっきいたヤツよね……どういうつもりなのかしら)

逆立つ産毛を撫で、オウは立ち上がる。銃弾はここぞとばかりに狙いをつけてくるが、彼女は全弾撃ち落として見せた。魔力が光の粉となって宙に舞い上がる。ふわりと消えていくそれを、どんな面持ちで見ているのか。掴めない相手にオウは顔をしかめた。

「ソイツを置いて行けばそれでいい。今は魔法使いに用はない」

「…………なるほどね、私を相手する余裕はないと見た」

オウの挑発も全く意に介さぬ覆面はもう一度タイハクを引き渡すように迫った。

「悪いけどこの人は引き渡せない」

そう言いつつもオウの首筋を冷や汗が伝い落ちる。

(こいつ……なにができるのか、さっぱり分からなくて怖いんだけど)

戦闘に発展すれば分があるのはオウのはずだ。それでも向こうが引く様子が全くないのがオウは不気味で仕方がなかった。

発砲音が響く。目の前で覆面の男が膝をついて倒れるのが見えた。刹那、現れた人影が倒れこんだ人物に向かって銃口を向け──その銃口を光が弾く。跳ね上がった銃弾は遥か上の壁を抉っていった。

彼に向けたままの杖を下ろせずに、彼女は身構えたまま男を見る。銃を持った男は、顔に特徴的な傷痕があった。

「なんだ、オウちゃんかよ」

気さくな声の主は肩をすくめて表情を緩ませた。それでもその腕は下がらない。銃口は再度地に伏せった覆面に向けられた。

「ん……そこにいるのって」

「待って。近づかないで」

オウの傍らで伏せっているタイハクに気づいたのだろう。一歩踏み出そうとしたトリベノを彼女は牽制する。

「あれまあ。さっきまでコイツあんたのこと殺そうとしてたんだよ? 温情かけるのも大概にしないと。魔法使いなんだから」

「魔法使いは関係ないでしょ」

「あとで恨まれるよって言ってるの。にしても、まさかオウちゃんが伝説の魔法使いだとは思わなかったよ。まさか本気でサンドワーム止めるために女神を殺しに行くの?」

「…………だからなに? あなたは私になにを求めてるの」

棘のある声に、言葉にトリベノは目を丸くする。

「いやなに、簡単に言えば協力の申し出だよ。いくら魔法使いでも、こんなのが次々と来たらたまらないだろ? 俺らなら生活用品も用意できるし護衛だって可能だ。もちろん砂丘を越えるのだって、一人よりはずっといい」

息を飲む。

「そこのだって、きっと賛成するぜ? それにあれだろ、記憶を失ったふりなんて、ずっと続けてられるもんじゃないと思うぜ」

「記憶は本当にないんだけどね……」

オウの反論を気にも留めないのか、トリベノはすました顔で返事を待っている。どうやら彼はオウが身を隠すために記憶を失ったふりをしていると思っていたらしい。

(そこまで……悪い話じゃない、全く悪くはない。私にとって都合がよすぎるくらい、だけど)

拭いきれぬ違和感を飲み下せず、オウは頷きすらしない。少し待たされるにしても、トリベノはオウの返事を待つつもりらしい。どうするか、問いかける瞳の先で少女はただ沈黙していた。揺れる瞳は迷いを感じさせる。あと一押しか、そう思ったトリベノが口を開こうとしたその時だった。

覆面の男が指を動かした。

刹那、引き金にかかっていた指に力がこもる。二回の銃声が響いた。弾は明後日の方向へ飛ぶ。ならば、ともう一度放たれた弾丸も、近くの壁を抉る程度にしかならなかった。

「とどめは必要ないでしょ」

「言っただろ。そういうモンだよ。これから女神を殺そうってのに、どうしてそこは戸惑う?」

「その人は、ただの人でしょ……! 魔法を使って傷を治すこともできない」

「だから? その程度の覚悟で? 誰も殺せずに女神が殺せるほど、簡単な旅路だと思って?」

「思っちゃいないわよ。難しいことね。それでも、無抵抗の相手を殺すのは間違って──」

「殺しに正しいも間違ってるもあるか」

低い声は少女の主張を一蹴した。銃口が下がる。

「いいえ」

そう返しつつも彼の手にある物からオウは目が離せない。彼は覆面に銃を向けることを止め、オウへ向かって歩き始めた。

「本気か」

小さく揺れる金の瞳を見てもなお、トリベノは歩調を緩めずこちらへ向かってくる。杖を向けつつも、彼女は反撃の手はとるわけにはいかない。

(足に一発で……いや、ここで攻撃は悪手……!)

下がることしかできず、オウは歯噛みする。彼と戦う気はまるでない。彼もきっと、戦う気は一切ない。恩人でもあるトリベノに対して攻撃を加えることはもとより。

(ここで攻撃したら、いけない)

きっと彼は反撃してこない。こちらが殴り掛かった時点で、トリベノの思うつぼだ。万事休す、その距離があと数歩というところまで近づいたところで──一歩引いた背にとすん、となにかがぶつかった。

「トリベノ、悪い癖が出てるぞ」

それを合図に後ろにいた人物が前に出るようにして、オウを押し退ける。

反撃が壁を、地を抉る。揺れる照準はそのままに、引き金には指を掛けたまま彼は立ちふさがる。小銃で上手く牽制をしつつタイハクは、オウをそのまま背で押して建物の影に追いやった。オウが壁の陰に収まったと見るや否や、タイハクもまた壁の陰に逃げ込む。

また響いた銃声に翡翠の瞳が歪められる。ギリ、と口元から痛みが聞こえる。過った嫌な予感にオウは手を伸ばそうとする、が。彼は迎撃姿勢を崩さずにオウを一瞥した。

「お前、なにができる……!」

「攻撃と、簡単な目くらましと、防御は苦手。人は殺せない」

「いい。それは期待してない。向こうは魔法のことが分かってそうだ。けど、銃弾には限りがある。向こうが動くのは、」

跳弾が壁を抉り、破片が飛ぶ。それを腕で防ぎながらタイハクは話を続けた。

「再装填のときだ。そのときを狙ってこっちも逃げる。けどそれは向こうも分かり切っている。だから数で押し切る。余力は?」

「十分よ。早撃ちならなんとか」

「相手も銃だけどな。来い」

低い声でタイハクは返す。彼は隙を見計らって指笛を使った。決して大きくないその音に反応したのだろう。背後から大きな影が描けてくるのが分かった。得意げに鼻を鳴らしながら、馬は姿勢を低くする。

前の様子を伺いながら二人はアバニに跨って逃走姿勢に入る。タイハクは隙を見計らってアバニの準備も整える。

「おいタイハク! どういうつもりだ!」

こちらの魂胆を察したのか壁向こうから銃声に負けぬ声が聞こえる。

「どうもしない。俺もオウもお前には協力しないってはっきりしただけだ」

タイハクの返事に反応はない。壁向こうからは変わらず銃弾が飛んでくる。

「今だ!」

弾が切れた、引き金が引っかかるその音を合図に合図を出す。駿馬は身を翻して力強く駆け出した。操縦に気を遣わなくてもよいとはいえ、装填をしながら馬に乗るのはタイハクでも難しいところがある。

「もう一丁あったか……! オウ、頼む」

装填をせず向かってくる男を見て、タイハクは臍を噛む。すぐさま始まった追撃を迎え撃つべく、少女は呼吸を整えた。揺れる馬上では命中率など気にしていられない。

(──今は速さ!)

大量に広げた魔法弾を一斉に放つ。次から次へ、作り上げられた魔法弾を片っ端から撃って撃って撃つ。一撃一撃は軽く、殺傷力もない。当たれば光が散るだけ。それでも目くらましには十分らしい。追撃の手が緩んだと見たタイハクは、アバニに合図を送る。路上に止まったままになっている馬車を跳び越え、角を曲がり、川沿いに出る。

「ここからどうするの!?」

「このまま市街に潜伏はできない。から、砂丘に出るしかない。強行突破になる」

「……へえ、いいじゃん!」

思わぬ好反応にぎょっとしてタイハクはオウを振り返る。金の瞳には小さな星がきらきらとちりばめられていた。言ってしまったものは仕方がない、タイハクは即座に腹をくくって行先を探した。

(支所内の門が一番安全だけど……あそこは人の目が多すぎる。海まで行くと、アバニの体力が持たない。なら……)

一か八か、等間隔に並ぶ石柱の列、その中間地点を目指す。

「あれはなに? あんなので境界示してるの!?」

「あれはウマノスだ。本来サンドワームはアレを嫌う」

狙い通り、中間地点の警備員は三名しかいなかった。支所が緊急事態なのだ。予想通りの状態に一瞬だけ気が緩む。それを諫めたのは他でもない愛馬だった。くん、と強く引かれた手綱を握り直し、深呼吸をする。

「前だ、ここを抜ける──!」

「よし、ありったけぶち込んでやるわ!」

合図と捉えたオウは再度魔法を展開していく。着弾の衝撃で上がる砂柱をものともせず、アバニは一息でウマノスの傍まで肉薄する。想定外の速さだったのか、警備員たちの反応は間に合っていない。チャンスと見たオウは再度弾幕を展開した。そのタイミングで駿馬は思い切り踏み切って──人の背ほどある柵を跳び越えた。