「なんでそうなるんだよ」
思わず文句が口を突いて出る。さして珍しくもない口応えに、電話の相手は苦笑した。
『ごめんごめん。でもこういう急用に対応してくれるのって、霜助しかいないからさ』
さらりと吐かれた甘い毒に、青年は足を緩める。そう、こいつはこんなヤツだった。毛ほども思っていないのに、妙に耳触りの良い言葉をかけてくる。血の繋がった実の兄ではあるものの、これだけはどうにも好かない。
「そんなわけない。ここ左?」
「そう。北郷三丁目ビルね」
指定された住所は、近郊の繁華街──その外れにあった。時刻は深夜一時。最高潮にぎらついた隣街から、あぶれた者たちが闊歩する。そんな中、長物を携えて駆ける背広の青年の姿はどうにも浮いていた。ボタンを外して着崩した姿は、一見するとよくいる接待役に見えなくもない。
「第一なんでこんな状況なのに、動けるのが……おれだけなのおかしいって」
文句をつけ続ける浅黄色の瞳はしかと、入り口を捉える。警備のために立つ男たちは未だ彼に気づいていないらしい。目の前を酔っぱらった男女が歩いて行く。ハロウィンの仮装をしたまま飲みに行っていたのだろう。取れかかった悪魔の羽が揺れる。道化たちを見やって、青年は顔をしかめた。
ふらり、目の前で女が足を踏み外した刹那。
目前のそれに奪われた意識を鋭い一撃が刈り取る。急所を穿った回し蹴りから転じて、今度は空いた胴に飛び込んで、そのまま引き倒す。そのまま絞めて行動を封じてしまう。先に蹴りで一撃を入れた男は、見事に側で伸びていた。伏せっていた男も徐々に抵抗が弱まり、すぐに意識を手放す。周りがざわつき始める前に、青年は建物内へ飛び込んだ。
『どう? いけそうかな』
「上!? 下!?」
『ハイハイ、下だよ。せっかちだね』
嫌味を放って、指示通り下を目指して走り出す。目の前にあったエレベーターをスルーして、彼は階段を飛ばし飛ばし駆け下りていく。上でくぐもって聞こえていた音が、段々と近くなっていっているのが分かった。階段に人はいない。皆地下で行われる催し物に夢中なのだろう。歓声と、強者の気配。
『メインホールよりも下。控室の方ね』
足を緩めたのがバレたのか、声は階下へ誘導する。少し遠くに見えたメインホールからは、光と──極彩の魔力が散っているのが見えた。
『霜助、下』
再度飛んできた指示に、青年は静かに従う。階段を下り切った先には、暗い廊下が続いていた。その最奥で、僅かに光が漏れ出ている箇所がある。直感的に爪先が最奥へ向いた。音を忍ばせて、扉横に位置を取る。長物を肩からかけ直して深く長く、息を吐いた。部屋の中には数人いるらしい。気づかれていないのをいいことに、様子を窺う。
「で、今度はなにさせたいワケ?」
「ここまで来ておいて、それを訊くのか。闘技場で戦ってこい、それだけだ」
「はあ? アンタ俺のこと知らないわけじゃないんだろ? なんでそんなこと……」
低い声は反論する。
「悪いがもう売却済みでな。ここで戦う以外に、お前にできることはなにもない」
「は!? マジで!? 結果次第とかじゃなくて問答無用かよ!?」
「先払いである程度払ったし、なにか問題があるのか」
「ありもありだけど!? そんな金額で命売った覚えはねえっての!」
明らかな劣勢に青年は扉を蹴って話を終わらせる。構えられた長物に怯んだ一同を見、襲撃者となった彼は不敵に笑った。
「正々堂々やってくれたな」
伸びの良い声は、そんな宣戦布告を投げかける。部屋の中にいたのは総勢六名の成人男性だった。身なりのいい壮年の男に、日本刀を下げた茶髪の男。それらを囲む護衛らしき数名の男……呆気に取られている壮年の男に、襲撃者は通話機器を放った。危なげなくキャッチした男は、目を見開いてそれをつける。
「なに……?」
『すみませんね、こんな形で。うちも多少は忙しい時がありまして。それが今日だったんですが……』
「フン……椎崎の倅か。もう遅い。接続はすでに済んでいるからな」
『ええ、もったいない……というか、本気ですか?』
「本気も本気だ。私はもとよりお前が気に食わなかっただけだからな! せいぜい指でもしゃぶって見ていればいい!」
通話機器を投げ捨てて、男は襲撃者に向き直る。
「お前は弟の方だろう。こんなところまでご苦労なことだ。で、どうする」
「どうするもなにも……とりあえずその借金の塊は返してもらえないか。ウチで働かせないと意味ないんだけど。アンタ関係ないだろ、もう」
「はは……兄さえいなければ、お前も日陰者じゃなかったんだろうな」
その言葉をトリガーに護衛たちが身構える。横から伸びてきた足が、一人を蹴り倒して牽制する。ゆらりと背後で動いたのは、日本刀を構えた男だった。白刃の気配に、じわりと気が締まっていく。
「冗談じゃねえ。俺だってこんなところで死にたくねえわ」
「そうか、じゃあ頑張ってくれ」
二人は視線を交わすことなく、互いを背にして身構える。それぞれ武器を手にした護衛たちが前に踏み出した。
鞘を払って姿を現した白刃に、小刀を手にした護衛は怯える素振りも無く突っ込んでくる。刃先が少し後ろへ引いた、そこから手繰り寄せた可能性に賭けて、茶髪の男は一気に肉薄する。
「やっぱそうくるよ、な!」
護衛の男の天地が反転する。驚嘆の間隙に差し込まれたローキックが綺麗に決まったのだ。そのまま振り下ろされた柄が後頭部を強かに打つ。護衛は意識を飛ばさなかったものの低く呻き声を上げた。
「よし、つ……」
油断した男を狙って、死角から跳弾が襲い来る。
(そっちか──!)
思わぬ奇襲に覚悟を決めた緋色の瞳は見開かれた。硬い床の上を、銃弾が軽い音を立てて跳ねる。コロコロと、歪になった弾薬が靴先に当たった。
「うお……よく分かったな」
銃弾を撃墜したのは、大鎌を手にした青年だった。
「発動の速い補助魔術だ。それくらいやれ。アンタ魔術師だろ」
「まー、一応ね。椎崎君は手厳しいなァ」
文句に対し、ちょけながら茶髪の男は刀を納める。ふわり、と熱気が漂った。視線を交わした二人目掛けてなにかが飛来する。いくつもいくつも、流星の如く飛んできたのは炎の塊だった。
「室内だぞ!?」
茶髪の男は跳んで回避するも、狭い控室の中だ。逃げ場などなく、じわじわと追い込まれていく。椎崎も炎の弾を叩き落として直撃は避けられているが、足元では火の手が広がりつつあった。
「──来る!」
再び詠唱が始まった。もう一度魔術を使われたらひとたまりもない。そう判断した二人は一斉に攻撃を仕掛けにかかった。
大鎌を手にした椎崎は前に踏み出して、そのまま柄で壮年の男の頭部を殴打する。
(駄目だ、浅い!)
身体が揺らいだものの、既に展開されていた魔術式の活性化は止まらない。一瞬、男と目が合って思わず舌打ちをする。予想済みだ、そんな風に唇が動いたように見えた。床に手をついて、受け身を取る。次の攻撃は避け切れないか。そう腹を括った後ろ。
──鯉口を切る音、空を斬った、音がした。
瞬きの間に、刀は再度鞘へ納められる。きん、と高い音が鳴って男は頬を緩めた。
壮年の男が後ずさる。いつの間にか、護衛の男たちはすべて床の上で伸びていた。
「さ、て、とぉ……次はなに使うんだよ。さっきの魔術式は斬らせてもらったぜ」
「今……なにが……お前、今は魔術が使えないはずじゃ!」
「使ってねえなあ! なんかこう、頑張って斬ったんだよ!」
「は……!?」
唖然とする壮年の男が膝を折る。遅れて届いた銃声に、茶髪の男は顔を上げた。派手に血しぶきを散らした男を見やって、襲撃者こと椎崎霜助はゆっくりと立ち上がった。
いつの間に、手にしていた大鎌は消え、ただの長い棒に戻っている。左手に構えていたのは、自動小銃だった。
「おー……早期決着がよかったと」
「嫌味か」
硝煙の臭いに顔をしかめて、椎崎は銃を下ろす。続けて茶髪の男が口を開こうとしたその時、床に伏せっていた護衛の男が、一人、顔を上げた。
「な、魔術も使わずに……、銃で決着をつけるなんて卑怯な真似を……!」
痛みに紛れた言葉に、椎崎は眉ひとつ動かさない。そのまま二発、引き金を引いた。再び静かになった室内で、茶髪の男と椎崎は対面する。
「卑怯だってさ」
「恵まれたヤツは皆そう言う。日向明、お前なんで黙って見てた」
「え?」
日向と呼ばれた男は目を丸くした。
「向こうがコレ嫌ってるの知ってて乗ってただろ。無理してまで魔術使ってたし。それに……多少は恩があると聞いたが?」
「ああ、それ……? 椎崎君の中では、俺ってそんなお人よしだったの? 俺だって嫌い人くらいいるしー、最後の最後で俺のこと売った人のことなんて助けるわけねーだろうがよ! それともなんだよ、死神さんが俺に説教ってワケ? なに聞かせてくれんの?」
「そんなに躍起にならなくても」
「お前が煽ったんだろ!」
勝手におらついている日向を押し退け、椎崎は放られた通信機器を拾い上げる。溶けて変形してしまったそれを、耳に一度当ててみて再度放る。ポケットの中にスマホがないことに気づいてため息をつく。
「とりあえず……状況は理解できてるか」
「あー、いや?」
刀の柄を触りつつ、日向は首を傾げる。闘技場に出すためだろうか、普段からは想像できない上等な服を身にまとっている。グレーのジャケットに深い青のベストがなんだかんだよく似合っている。椎崎は口を曲げて三本指を立てた。
「一つ、お前は魔術炉に接続された。二つ、そのまま放置すると、日の出と共に炉に吸収されて消える。三つ、炉が暴発するよう仕組まれている。つまり爆発する」
「エ!? 俺爆弾になったってこと!?」
緋色の目が大きく見開かれる。深刻そうなリアクションをした割には、表情はどうにも間の抜けた感じがした。ちぐはぐな反応に、椎崎は小さくため息をついた。
椎崎とて、ついさっきこの状況を聞かされたのだ。なんでも自分の組が所有する建物が、一夜にして不法に占拠され、挙句の果てに魔術を使ったバトルロワイヤルが開催されているというのだから。彼も最初は冗談だと思ったのだ。しかし連絡をしてきたのは兄であり、組の幹部陣でもある男だ。信じるほかなかった。
「それさあ、俺が闘技場に出る必要なくない? どうせ死ぬんでしょ?」
「お前はノリノリになると踏んでたんじゃないか? お前は日光が無いと魔術が使えない欠点がある。けど、どうせいい感じに生き残るだろうし、そんで夜明けになってドカン……対処に来た組員も全部吹き飛ばすって算段だったんじゃないか」
転がる肉塊を一瞥して、椎崎は適当な推論を述べる。それを聞いた日向は眉を下げてどうにも言葉にならない思いをこねくり回している。
「そうだな。ウチとしてはお前を死ぬまで働かせる方針だから死なせるわけにはいかない。ついでにお前からしても、来週の……なんだっけ、競馬? したいんだろ」
「したいに決まっとるわボケ! 勘弁してくれよ、俺がなにしたって言うんだよ!」
「借金。それと、どうせ飯とここの賭け要素に釣られたんだろ」
「それも大事でしょ」
けろりとしながら答える日向に、椎崎は眉をひそめた。流れてきた冷や汗を拭って、彼は話を仕切り直す。
「闘技場横に……例の魔術炉がある。爆発の根元だろうし、それを解体できれば問題ない」
「なるほど……そういうモンなら、俺でもなんとかなるわ。よし分かった。やろうさっさとやろう。お前らにただ働きさせられるのはやっぱ気に食わねーけど」
「ソレに関してはお前が悪い。金なんか借りるからだ」
そう言って椎崎は階段へ向かう。下であれほど騒いだというのに、階段付近に人の姿は一人もいない。皆、闘技場の熱気に飲まれているようだった。あふれんばかりの人混みへ割って入って、中の様子を窺う。中はかなり広く作られており、天井は低いものの敷地自体は痴情からは想像できないほどの広さがありそうだった。元々はダンスホールだったのだろうか。身なりの整った老若男女が、中央にある舞台を囲って熱狂している。舞台上では魔術師数人が戦っている姿が見える。それなりの実力者がいるのだろう。濃く、はっきりとした魔力が炸裂したのが遠く見えた。派手な戦いを見て、誰も襲撃に気づかなかったことに納得してしまう。
「どこだよ?」
「あっち、あっちだ」
人に揉まれつつ、向こう側に見えた扉を目指す。後ろ髪をひかれつつも、椎崎は熱狂を後にした。簡素な鉄の扉の鍵を開けば、暗い廊下が出迎える。不審がられる前に、と二人は扉の内に踏み入った。
「鍵なんてあったんだな?」
「元々はウチの建物だからな。合鍵は……苦労したが作れる」
ふーん、と相槌を打ってスマホのライトをつけた。
そのまま奥へ歩を進める。不気味なほどに人がいない。
(多少は警備を裂いててもいいはずだけど……おかしいな)
違和感を覚えつつ椎崎は先を行く。廊下の先に扉が見えてきた。そこから漂ってくる異様な気配に、目的地を確信する。
警戒しつつ、扉を開いて──真正面から飛んできたなにかをしゃがんで避けた。後ろにいた日向も気づいて避けたらしい。ぎゃっ、と変な声が廊下に響く。
「避けたのね」
よく響く高い声に、椎崎は長物を構え直す。目の前、狭い室内に一人の女が立っていた。黄色のよく目立つドレスを身に着けた女は、切れ長の瞳を細めて襲撃者たちを出迎える。
「真正面から来るとはいい度胸だな。警備はアンタだけか」
女は静かに微笑むのみで、答えを返さない。
(……罠だろ。どうする?)
息を飲んだのを感じ取ったのか、日向が横から覗き込んでくる。
「な、ちょっと俺に賭けてみねえ?」
「は?」
「あの女の相手はお前ひとりでやって、俺は炉の破壊。手分けすんだよ」
思わぬ提案に浅黄色の瞳は丸くなる。
「失敗すれば全滅だが? というかお前……俺のこと知らないだろ」
「知らねえな。だから俺からすれば結構な賭け。死ぬなら派手に抗おうってやつね」
「酔狂のつもりか。ただの愚策だろ。俺は賭けない」
「んじゃ、好きにさせてもらうからな」
話を聞かずに、日向は先にもう一つある扉へ向かう。椎崎はこめかみを押さえて、それを見送ってから女を今一度見やる。
「あなたが噂の死神さん?」
「……そんなに見たいのか」
構えた黒い棒の先に、鎌の刃先が現れる。
「へえ、そういうタイプだったのね。いいわ、こちらとて雇われた身。あなたなら面白いダンスができそうね?」
女の挑発に浅黄色の瞳を細めて、椎崎は構え直した。