「さ、てと……こりゃ想像以上の規模だな……」
辿り着いた先で、日向は腕を組んで考える。複雑に展開された魔術陣が部屋を埋め尽くしている。どうやら部屋ひとつを魔術炉に変えてしまったらしい。中央には核となる遺物が設置されている。あれがなんなのか、確かめたい気が起きたものの、これ以上踏み入れば炉を刺激してしまう。自ら飛び込んで爆発させるのはまた違うだろう。そう己を諫めて分析を続ける。
(無理に使ったところで、これを壊し切るまではいかない。なら、少し……)
ポケットから取り出したペグシルが使用可能なことを確かめ、日向はしゃがみ込んだ。一つ一つの魔術式は非常にシンプルであり、ある程度書き換えれば早期解体も可能だろう。そのために、ひとつひとつ魔術式を拾っていく。構成する魔術式自体は小さく、寄せ集めて大きくしたものらしい。くしゃくしゃになってしまったメモ紙に、手がかりを一つ一つ記していく。
「よし、多少は分かりやすいヤツなんだな……光明ありきってか」
にたり、と笑って日向はペグシルを持ち直す。血気盛んな緋色の魔力が散った。
※
光が拡散する。満天が如き光が取り囲むように発生する。容赦なく床を抉る先の一撃を見た椎崎は、さっと血の気が引いたのが分かった。順次放たれていく星の光が容赦なく床を、壁を抉る。少しは魔術で補強してある様子だが、それを上回る威力を持っているらしい。紙一重で追尾してくる魔力の塊を引きつけつつ躱していく。転がり、引っかかったジャケットを放って隅から隅へ、猛烈な星の雨を掻い潜る。
反撃の手は弱弱しく、小さな氷の礫が星の光の行く先をわずかに逸らすだけ。今のところ全弾回避をしているものの──椎崎の行った魔術的な行動はそれだけで、ほとんどは素の肉体能力が成したことだった。
「あなた……」
攻撃の手が止まる。動くのを止めた途端に、押しとどめていた無理がどっとあふれ出る。激しく咳き込んで、垂れてきた涎を雑に拭う。
「虚弱体質、魔術も出力不全……聞いてはいたけれども、本当にその通りだとは思わなかったわ」
「……がっかりした? 好きにしろ。それとも可哀想だとでも?」
「不気味だわ」
ひとつ、聞こえた感想を耳に入れて青年は顔を上げる。肩で息をしつつも、血の気が失せていようとも、その瞳は闘志が輝かせる。
「お前の……やり方は理解した。そんで、おれはおれの欠点を理解している」
片膝を立てて、大鎌を待ち直す。
ぱきり、と高い音が鳴った。部屋に満ちていくのは薄く鋭い刃が如き、冷たい魔力。霜が降りる、息が白くなる。一瞬にして様変わりした光景に、女は瞠目した。
「こ……れは!?」
「出力不全はその通りだ。違いない」
白い息を吐きながら、ゆらりと魔術師は立ち上がった。
「虚弱体質もだ。この点で見ればアンタの方がおれより格上の魔術師だ。そうだろう」
「……っ!」
どこからともなく、凍てつく風が吹き荒ぶ。
氷の礫が瞬きの間に錬成されていく。反撃の手を取ろうとした女はそこで気が付いた。
「これ、私の魔術式……!」
「おれが弱いのは、生まれついてだ。それでもうちの魔術にはぴったりだったんだよ」
完全に椎崎のものとなった魔術式が最高潮に活性化する。相手の魔術式を奪い、暴発させる唯一無二の決戦術式。
床材が跳ねる。冷気によって出来上がった霧が一層濃くなる。余波で跳ねてきた床材と、氷の欠片を払ってジャケットを拾う。滲む視界と、未だ荒い息を抑え込んで数度胸を叩く。
そのまま振り返ることなく、椎崎霜助は奥へ進む。
奥の部屋に入ってすぐの場所で、日向明がしゃがみ込んでいた。
「お前、なにして──」
「さっむ、ナニコレ、冷気?」
顔を上げた日向に、一瞬でも心配してしまった己を悔やむ。特段変わった様子のない日向を見て、椎崎は眉間に皺を刻んだ。
「なにをしてる……?」
「俺、この炉に紐づけされてんのよね。だから逆にちょっと借りようと思って」
「あんまり癒着させると、解体時に困るんじゃないのか」
「そりゃそう。その辺は賭けよ。ま、やってみる」
「やってみるって……」
「ま、俺ってば太陽光がないと切り札使えないんだけどね! そらよ! 伏せな!」
書き換えを終えたのか、とんでもないことを言い放って日向は魔術陣に手を添えた。刹那、天井が派手に崩落を起こす。活性化した魔術式が、自壊をしたらしい。遺物と二人を避けるようにして、天井が落ちてくる。派手に上がった土煙に咳き込みながら、椎崎は顔を上げる。
「……っ、太陽光ってお前、まだ深夜二時にもなってない、ぞ……!」
「落ち着けって」
よろめいた青年の肩を支え、ジャケットの裾を翻して日向は前に出る。中核となっていた遺物に、変化が起きる。
「あれな、俺見たことあるんだよね。天狗の卵とかなんだとか言われてたけど」
まばゆい光と共に、なにかが大きく羽ばたいた。それは目にもとまらぬ速さで直上へ飛び上がる。街明かりを反射して黒い影は飛びすさぶ。
「おい、逃がしてどうするんだよ!」
背後から飛んでくるヤジに、日向はにたりと笑う。彼の手にはいつの間に和弓が握られていた。
「上の方が壊しやすいからな」
矢をつがえ、弓を引き絞る。ぎりり、と心待ちにしていた音がする。
「──天の大御神に奉る」
刹那、緋色の風が吹く。
「我が弓と矢を以て、一切の魔を打ち払わん。光符『旭日昇天』!」
放たれた矢は緩やかな弧を描いて黒い影を穿つ。一瞬、強大な力が収縮して──炸裂し、辺りに派手な魔力と光を散らす。暗い空を、微かな星の光を塗りつぶした緋色に圧倒される。
それをぽっかりと空いた天井から見届けた日向はピースをしながら振り返った。
「どうよ」
背後では色の悪いままの椎崎が難しい顔をして立ち尽くしている。
「ふざけるな、お前さっきの日光がどうのってなんだったんだ」
「なに言ってんだよ。月は恒星じゃないぜ」
ぴっと指さした天上にはアーモンド形の半月が昇っていた。今一度、自慢げな顔をする日向を見た椎崎は拳を固めた。
綺麗な右ストレートが入る。完全に油断していた日向は、情けない声を上げて倒れ伏した。
「天井壊してんじゃねえ馬鹿」