イロットという土地はとにかく険しいことで有名だ。元国土の七割を山地が占め、海岸沿いは広大な砂丘が覆っている。砂丘を囲うようにして山地が存在するために、他の土地や人々との交流も少ない、極東の小人が住む国。イロット地方の人々はこぞって平野部へ集まり、家屋を建て街を作った。西都オガノは数ある街の中で最も古い元王都である。近年激しさを増す砂の浸食によって街の東側は荒廃が進んでいるときく。人々は向かい来る砂嵐に追われるように、山際へ居を移動させているらしい。
群れる人に対し、アバニはひたすらに嫌々と耳を絞り続ける。少しの時間をかけて彼女をなだめた後に、タイハクは南へ移動を開始した。商店が立ち並んでいた大通りを横切り、狭い道へ入っていく。だんだんと路面の凹凸が激しくなっていき、家々も形を崩していく。次第に路上にもがれきがはみ出し道という道が無くなっていく。歩きづらそうなアバニに何度か謝罪の言葉を呟きつつ、ようやくタイハクは足を止めた。
壁面には機銃掃射の痕が残ったままになっている。周辺の瓦礫を集めれば天井の穴くらいは塞げるだろうか。路面に散らかったガラス片を蹴ってよけ、瓦礫を運んで道を作る。タイハクの選んだ廃屋は手狭ではあるが、ある程度片づけをすれば生活空間を作ることができそうだった。奥にある竈は潰れてしまっているものの、水場は掃除さえすれば問題ないだろうか。
アバニの力を借りても片づけを終える頃には、すっかり日が沈んでいた。タイハクはアバニの隠れ家を作り終えてから市街へ出る。
(やることが多いな……染料と食料は少しでも欲しい。あとは関も見ておけたら安心だが)
日が落ちた瓦礫街は、真っ暗になる。それこそ月と星の他に時折見かける派手な焚火しか光源が無くなるからだ。ここに暮らす人の数は少なくない。あちらこちらで火を囲み、その日限りの食料を齧っている女子供がいる。復員してから職も家も失くしたのだろう、負傷した男が力なく路上に座り込んでいた。どこからか漂ってくる異臭に、淀んだ空気。とてもいい場所とは言えない。タイハクが拠点に選んだ廃屋は山に接しているため幾分かマシだったものの、こうして少しでも歩けば瓦礫街の象徴たる光景が広がる。
西都も東都も、主要な市街地以外はどこもこんなものであろう。瓦礫街を抜け、市街地東にある河川敷を目指して歩き続ける。夏草の間から虫の鳴き声が聞こえる。今日は昨日とは違い夜空は晴れ渡り、月がよく見える。明るい足元に気が緩む感覚がした。暗い夜道を行く人はいない。隠し持っている護身用具に触れて、ちゃんと持ち歩いていることを確かめる。
そうして歩いてたどり着いた河川敷では数多の露店が布屋根を連ねていた。
「おお、タイハクじゃねえか。元気してたかぁ?」
顔を薄汚れた包帯で覆った男が、タイハクの衣服を掴む。
「そうだ、久しぶりだな酔っ払い。相変わらずか」
つっけんどんな反応も意に介さず、包帯男は話を続ける。
「あの馬はどうした。こんな人の多い時期にここまで一人で来るたぁー、珍しいじゃないの」
「色々あった。いつもの染料は?」
「あるぞ。ほら、他は?」
「色付き石鹸は」
「一緒に入れた。あぁ、あとは缶詰とかあるぞ。これはサンドワーム」
「サンドワームの缶詰はやめとけって言っただろ」
「あとは牛もある。こいつはなあ……」
ぼそりと耳元で呟かれた法外な価格にタイハクは小さく息をついた。
「ここで食い物は買わないって決めてる」
「そりゃそうだ、それがいい。というかお前さん、ついに行くのか?」
「ついにって……どこに」
「そりゃ、砂丘越えての東都なんじゃないのか? ずっとそれっぽいの買い集めてただろ。今日だってほら、そのゴーグル、防塵仕様じゃないか」
包帯男の指摘に、タイハクは口を閉じて首を横に振る。それでも彼はタイハクが東都へ行くことを確信してるのだろう。調子よく話を続けた。
「この時期に行くんだから、どうせ祭だろ? 結構な期間かけて準備してたんだし、そろそろだと思ってたんだよ」
「だから別に、今行くってわけじゃ」
「てかそういや……今望月が検問してるらしいな」
「それは……防衛隊支所の?」
「ああ、どうも今日の昼かららしい。結構な数足止めを食らってんだとよ。おかげで商人隊も来やしない。闇市っつったって、仕入先が無なわけじゃないしよ」
「そりゃ大変だな……もう行く。染料助かった」
「あいよー、んじゃまたよろしくな」
調子のよい声を背に受けながら、タイハクは人混みの中へ戻る。闇市は日が沈んでから盛り上がり続ける一方だった。違法な手段で作られた酒類、嗅いだことのない香草の香り。雑多で仄暗い軒先を抜けて、暗い夜道へ戻る。少し遠くでは市街地の光が星々を掻き消していた。速足で拠点へ戻り、アバニの毛に染色を施す。粉末状の染料を水に溶き、それを染み込ませた布で毛並みを撫でつけていく。真っ白で美しい馬体は、あっという間に砂毛色に変わっていった。
染料を嫌がったアバニはすっかりへそを曲げてしまい、壁の方を向いたまま動かなくなってしまう。こうなったら朝まで動こうとはしないだろう。彼女への謝罪もそこそこに、タイハクはさっさと眠りにつくべく横になる。薄い布を通して感じられる土はどこか湿っている。山から下りてくる緑の香りは眠るには少し涼しすぎる。空腹を訴える己を無視しつばを飲み込んで、瞼を下ろす。