三、小瓶 - 1/2

「お、おばさん、怪我は!?」

タイハクが去って少し、呆然としていたオウはその手を掴む。滲む手汗に微かな震え。揺れる瞳を見、オウは思わず言葉に詰まる。

「……大丈夫よ」

青い顔のままズチは答えた。

「その、おばさんたちは知ってたの?」

「知らない。けど、訳ありだってのは思ってたな……信じられん」

顔を歪めたまま首を横に振るオージに、オウは瞳を伏せる。

「そんな……それは、最初から?」

オウの問いに二人は顔を見合わせる。ゆるゆると首を振ったのはズチだった。

「いいえ、分からなかったの。一年……も前の話じゃないと思う。町に降りた時に、路頭に迷っていたから、って」

「俺が連れて帰ってきたんだよ。ああいうカッコしてるから、復員だと思ってな。本人はどうにも言わなかったから、俺らも突っ込まずに一緒に暮らすことにした……んだが……」

──違和感は拭い切れず。

所属を示す名札も無ければ、装備品の印もない。話の中に出てくる出征先はだんだんと曖昧になっていく。夫婦はいつでも訝しむことができた。

「いいのよ、私たちも私たちで勝手だったの。あの子も分かってたと思う」

重く苦し気な言葉にオウは顔を上げる。

「息子が帰って来たみたいだと思ってしまったんだ。俺らの都合で引き留めてたんだよ」

「私たちは大丈夫、けど……あの子は」

分からない、と二人は首を横に振る。

「もう寝ましょうか」

ズチの言葉に、おもむろに立ち上がったオウは母屋を出て厩へ入る。隣にはタイハクの自室兼オウの居候場所となっていた元倉庫がある。元々準備してあったのだろうか、壁に掛かっていた大きな鞄が無くなっている。

いつもなら寝台で横になっている時間だが、今日はそうもいかない。殴られたからだろうか、視界の端にキラキラと、小さな光が瞬いている。瞳を閉じて何度か頭を横に振ってみるものの、光は消えず、ずっと同じ場所にある。よくよく見て見れば扉近くにある引き出しから出ているように見えた。

壁に固定された小さな棚だ。その下から二段目に目を奪われた。なにかに導かれるようにして細い指先は引き出しを開ける。

「これって……」

革袋の中から取り出したそれは、小指ほどの大きさの小瓶だった。しっかりと木栓で封がされている他装飾の類は一つもない。中身は空に見える。チリ一つ入っていない。好奇心に動かされた指先は木栓に爪をひっかける。ぽん、と軽い音がして木栓が開く。

ふわり、と覚えのある香りが立ち上った。刹那。

──走る光景、目の間で散った火花は奇跡の記憶を呼び覚ます。

突然の煌めきにオウは半歩下がって尻餅をつく。取り落とした瓶が足元で砕け散った。冷や汗がなだれ落ちる。脳裏に走った電流を頼りに、右手を宙にかざす。二度、三度と握って開き、四度目の手のひらには木製の杖が握られていた。流れる枝は軽く、先は丸く鷲の頭のような形をしている。羽飾りと緑のタッセルが取り付けられたそれは、機能性重視に見えた。不思議と手に馴染む杖の正体をオウは知っていた。

「そうだ、これ……! ずっと、取り出し方が分からなかったんだ」

勢いよく立ち上がって辺りを見回す。深呼吸をして神経を研ぎ澄ます。己の感覚に引っかかる物は、この部屋にはもうない。

『小瓶を見つければ記憶が戻る』

蘇った記憶にはそれが確かに刻まれていた。

ならば、と彼女は勢いよくタイハクの部屋を飛び出した。

「待って!」

飛んできた制止の声に少女は勢いよく振り返る。母屋の戸に手を掛けたままのズチが、身を乗り出していた。

「ど、どうするの?」

不安げな瞳に、オウは口角を上げる。

「私もタイハクを追いかける。訊きたいことがあるの。大丈夫、ちゃんと連れて帰ってくるから!」

旅の支度など一つもない。彼女は手を振って勢いそのままに駆け出す。もう一言、なにか言おうとした恩人を見なかったことにして。